What's New

ここには全ページに

共通の項目が表示されます。

 

<利用例>

What's New!

 

<利用例>

お問合わせはこちらから

愛と風狂の歌人・石田比呂志をめぐる随想

■2011年3月に開催された札幌ブックフェスにて配布されたフリーペーパー「ユーカリ」に寄せた文章。

 

 この二月に歌人の石田比呂志が逝去した。一九三〇年生まれ。近藤芳美に師事し、熊本市にて歌誌「牙」を主宰。歌人としては異色の経歴と強烈なキャラクターが売り物だった。福岡県生まれ。旧制中学を素行不良で退学になり、炭鉱夫や水道工事人夫、キャバレーの支配人など四十以上の職を転々とした。かなりアウトローに近い生き方をしていたわけである。そんな彼を救ったのが石川啄木の短歌だった。啄木に憧れ、酒に溺れる無頼者を気取った飄々とした短歌を作るようになった。

 

  酒のみてひとりしがなく食うししゃも尻から食われて痛いかししゃも

  『滴滴』

 

 現代短歌史の上で石田の名を留めているのは、その歌業よりもむしろ穂村弘の第一歌集『シンジケート』への激烈な批判である。歌集発刊後まもなくの頃「現代短歌 雁」に寄せたレビューは、「力めば力むほどチンプンカンプンで歯が立たぬ」「ただひたすら知識と知能、つまり頭の中で解決可能な場面のみを、自他ともに傷つくことなくかわしてきた「もしかしたら私の歌作りとしての四十年は、この一冊の歌集の出現によって抹殺されるかもしれないという底知れぬ恐怖感に襲われた」といった罵倒であった。歌を一首も引用せず、「苦労知らずのお坊っちゃん」をひたすら人格攻撃するものだった。こんな感情的な文章は批評ではないと言ってしまえばもちろんそうである。しかし時代が下ってみるとこの罵倒には正鵠を射たところがあった。確かに『シンジケート』は、それまでの短歌をひっくり返して新しい時代を作り上げてしまったからである。石田の罵倒は、結果として逆説的に最高級の賛辞へと変貌してしまった。

 その後穂村が歌人として評価を高めるようになっても、石田は一切認めようとしなかった。シンポジウムで穂村が発表する番になると、最前列に陣取って顔を突っ伏してしまったという。そんな二人のヒロシは、水と油のように見えて実は本質的に似通っている部分があるように思う。生きるのに不器用で、本当の自分を隠し続けた。虚構と演出で歌のなかにもう一人の自分を作り上げて生きた。弱さ、情けなさを装うことでまたそれとは全く別種の弱さを糊塗しようとし続けた。石田の『シンジケート』への異常なまでに過敏な反応は、同種の弱さを持つ者と出会ってしまったことへの戸惑いだったはずだ。

 石田はまさに短歌と人生がイコールになってしまったタイプの歌人である。「親が死んでも歌会は出てこい」と書いて物議を醸す。老後の楽しみに短歌でも勉強したいと言う弟子入り志願者は追い払ってしまう。短歌を冒瀆するものは絶対に許さない。そんな鬼気迫るオーラに包まれた男なのである。「歌人」とは芸術家の一ジャンルではない。人種なのだ。


   いろはにほ三十一(みそひと)尋(と)めてゆきくれて有為の奥山 うふっ 桜が咲いた  

『春灯』

 

 石田の訃報記事を見て驚いたのは、喪主が阿木津英となっていたことである。阿木津は石田の弟子であり、かつては妻だった。石田の方が二十ほど年長である。石田は既婚者だったが、師弟の一線を超えて不倫関係になった末に結ばれた。しかしその後協議離婚したはずであり、よりを戻したという話は聞かない。再婚していたのであれば妻と表記されるだろうが、喪主の名義は「歌人の阿木津英」だった。

 普通、離婚した元妻が喪主をしたりするものだろうか。兄弟なり子どもなり、誰か他の身寄りはいなかったのだろうか。関川夏央『現代短歌そのこころみ』にその手がかりになりそうな記述があった。石田はかつて「牙」連載の日記にこんな遺言を残していた。「一、『牙』はわたしの死をもって終わること 二、葬儀の類一切無用のこと――但し通夜は盛大に行い、故人への恨み辛み悪口雑言勝手のこと」。もしかしたら、本当に実行しようとしたのか。本当に通夜しかしないつもりだったのか。別れた妻なら恨み辛みの種は尽きないだろうし、率先して悪口を垂れ流してくれると思ったのか。ひょっとすると、昔からそういう約束だったのかもしれない。「俺が先に死ぬのは決まりきったことだ。たとえ別れていたとしても、俺の骨はお前が拾ってくれ」そんな言葉をかけていたのかもしれない。葬儀はいらない、悪口だらけの盛大な通夜を開いてほしいだなんて、何て孤独でさびしがりやで意地っ張りなのだろう。そしてその孤独をわかってあげられるのは阿木津しかいなかったと思う。なぜなら彼女は、別れた妻である以前に「歌人」だからだ。

 

  拝啓、ご無沙汰しましたが石田君河豚の毒にて頓死、敬具 

  『春灯』

 

 別れた妻を喪主に起用するという人生の締め方を、知り合いの女性歌人(新婚)は「最後の最後で男を上げたね」と評していた。女性心理に疎い私は軽く驚いた。どうやら石田比呂志の逝きざまはかなりかっこいいものだったようだ。世にも変てこな通夜を元妻に託したとてつもなく孤独で厄介な男の想い。それは間違いなく愛だったと思う。石田比呂志は現代の風狂歌人であり、かなり困ったおじいちゃんであり、けれどもとてもチャーミングな人物だった。歌とはすなわち人生なり。人生も含めて作品にしてしまう、それくらいの覚悟もなくて歌人になろうだなんて笑止千万だ! そんな声が空から聞こえてくるような気がする。石田比呂志(本名裕志)享年八十歳、死因は脳出血だった。

 

  ちょこなんと止まる止まり木隣りにも死にはぐれたる男がひとり  

『忘八』