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産地直送・北海道の雪の歌

■「短歌研究」2011年1月号発表。「雪のおもかげ」というテーマの特集に寄稿したものだが、一人だけネガティブな内容で明らかに浮いていた。

 

 

砂時計の砂に埋もれてゆくように一日雪の止まぬ日はあり 

樋口智子『つきさっぷ』


粉雪の香りってどんな香りだろうバキュームカーも粉雪のなか 

松木秀『RERA


目覚めれば大雪である 闘うというより慣れ合って生きる他なく  

西勝洋一『無縁坂春愁』

 

 どうも歌人は雪というものにロマンティックなイメージを付加させたがるようである。本特集が「雪のおもかげ」というセンチメンタルなタイトルを冠していることもそのあらわれだろう。しかし、北国の人間にとって雪は日常だ。交通機関を麻痺させ、人々に雪かきを強い、自治体の財政を圧迫するものとして雪は降り積もる。今回引用した歌はいずれも北海道に生まれ、今も在住している歌人たちの作品だ。雪からロマンティックな属性が剥ぎ取られ、ただ日常のありふれた事物として存在する風景を感受していただきたい。

 積雪のない地域にとって雪とは降ったそばから消えていくものなのだろうが、雪国では違う。札幌市郊外の実家近くには、市内最大級の「雪捨て場」がある。除雪機で集めた雪を山のように積んであるのだ。それは真っ黒に煤けて汚れたまま、夏になっても溶けずに残り続けている。車で一本道を走ってゆくと、道端に石炭の山のような黒い雪山がぬっと現れる。私にとっての雪の原風景とはこの「夏の雪」のような気がする。雪は溶けて消えていくはかないものではなく、都市社会からはみ出してしまった「廃棄物」なのである。

 雪を砂時計の砂に見立てた樋口の歌は、雪が日常に埋没しているさまをうまく切り取ってみせている。砂のかたちをとってさらさらと時間が流れてゆくように、降り積もってゆく雪も時間の流れに重なってゆく。静かにこんこんと降り続く雪を、感傷も倦怠も抱かずただ時の流れの具象として見つめる。雪そのものが非日常となる気候のもとでは味わえない、静謐な時間である。

 松木の歌は、感傷を削がれた雪のありようをアイロニカルに描写している。真冬にバキュームカーが出動したのは、おそらく下水道管が凍結したからである。粉雪の香りがわからないという表現のなかに、雪景色の厳しい現実が見え隠れしている。雪はときにライフラインを破壊する力すら秘めているのだ。この歌から匂い立ってくるのは、粉雪の香りではなくバキュームカーが汲み上げる排泄物の臭い。そんなブラックユーモアが心地良い。

 西勝の歌は、北海道の雪深い山村部で教師生活を送ったことを背景としている。「闘うというより慣れ合って生きる他なく」というのは雪国の住民にとっての雪への接し方であると同時に、外部からの闖入者として過疎の町に入り込んでいった経験から来た処世術なのだろう。西勝が北海道の辺境を描くとき、その閉鎖性に見合うだけの伝統や歴史が存在しないにも関わらず土俗的な空気を保持しようとする村社会への鋭い批判精神があるように思う。

 北の人間にとって、雪とはつまるところ労苦の象徴なのである。長く厳しい冬を耐え忍び、春を待ちわびる。そんな生活を支える重い底荷なのだ。クリスマスの時期には猛吹雪で窓の外が真っ白に見えるほどになり、ある意味ホワイト・クリスマスである。北海道在住者の詠む雪の歌は、やはりどこか醒めていて雪に対して突き放した感情があるように見える。


体温計くわえて窓に額つけ「ゆひら」とさわぐ雪のことかよ

穂村弘『シンジケート』


 穂村弘は北海道生まれだが幼い頃に本州に移り、記憶にない生誕の地への憧れから北海道の大学に進学したという。そんな生い立ちを持つからこそ、これくらいきらきらした雪の歌を作れたのだと思う。ずっと雪国で育った人間には、これほどに眩しい雪のきらめきを描いた歌はとても作れない。一年足らずで北海道を去った穂村にとっていつまでも、雪は身近だがささやかな非日常であり続けたのだろう。

 雪のことを思うと、どんな冬の風景よりも郊外の雪捨て場に積まれた「夏の雪」を思い出す。非日常の宝石として人々が眺めてくれる雪は、みな美しく溶けて消えてゆく。日常の労苦の象徴として誰にも見向かれない雪は、やがて除雪車に運ばれ、醜く煤けた姿を夏まで晒すことになる。雪の運命は、かくも悲しく、切ない。

 

後ろから「待つて」と君にマフラーを引つ張られつい新雪を踏む