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昨日読んだ文庫

毎日新聞2016年3月12日「昨日読んだ文庫」への寄稿エッセイ。文庫本を紹介するエッセイだが、取り上げた本はみな品切れでした。

 

 この冬、父が死んだ。六四歳だった。数年前に胃がんで胃を全摘していたが、再発してからはあっという間だった。今春の定年退職を控えていた。最後に残していた読みかけの本が定年後のライフスタイルについての新書だったのは、悲しすぎてむしろ滑稽にすら思えた。

 父はそれなりに読書家の部類だったので、家には大型本棚二つ分ほどの蔵書が残された。家に本があれば子どもも本を読むようになるとは言われるが、歴史小説とサラリーマン向け啓蒙書が中心の父の書棚は少年期の僕の興味をそれほど引かなかった。ただ、野球少年だったので野球関係の本にはつい手が伸びた。僕が物心ついた頃には父は野球への関心を失っていたので、野球の本を買う父は僕の知らない父の姿だった。

 幼い僕が父の書棚から失敬した数少ない本が、『プロ野球騒動その舞台裏』『プロ野球トレード光と陰』(新潮文庫・ともに品切れ)などといった近藤唯之の一連の著作だ。いかにも昭和の野球記者というライターで、プロ野球選手をサラリーマンに見立てたおっさんくさいルポを書く。「うなる思いである」「男の人生なんて三日先がわからない」など手癖の異様に多い文体。登場する野球選手がみんな「なあ、○○よ」と話を切り出すなど、似たような喋り方をする。今考えると不自然以外の何物でもないのだが、僕はなぜだかこの人の文章を読むと気持ちが落ち着く子どもだった。

 近藤唯之は後に、ルポに創作や誇張が多すぎることを叩かれてスポーツジャーナリズムの世界から退場していった。衰えゆく選手たちの悲哀を描いた記者は、自分自身が時代に取り残されて惨めに逐われていった。その末路も含めて、僕は近藤唯之を愛していた。

 関川夏央『海峡を越えたホームラン』(双葉文庫・品切れ)の朝日文庫版も父は持っていた。日本のプロ野球で通用しなくなり、黎明期の韓国プロ野球リーグに飛び込んだ在日コリアン選手たちを追ったルポ。スポーツだって時代や国家や民族と無関係でいられないことを野球少年に教えてくれたのが、父の書棚だった。(歌人)